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小社では毎年、「受験川柳」を募集しております。川柳は世代を問わず誰でも取り組めて、受験のような身近なテーマを元に作品を作れることが魅力の一つです。一方で、「川柳とはなにか」について知る機会は少ないのではないでしょうか。
そこで、本連載では受験川柳の選評者である尾藤川柳先生に、川柳の基礎知識や作句のポイント、楽しみ方などを数回に分けてご解説いただきます。
今回は川柳のなりたちや形式から、俳句との違いについて、見ていきましょう。
これだけが川柳のお約束
川柳で定められた形式は「五七五」の十七音ということだけ。
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私の車は「575」。これだけが川柳のお約束 |
では、なぜ、五七五なのでしょうか。それには、なりたちが関係しています。「川柳」は次の図のように、「俳諧」から派生しました。
五七五七七からなる短歌の上の句(五七五)と下の句(七七)を2人以上で交互に読む文芸を「連句」といい、連歌の内容が徐々に滑稽なものになってきて、滑稽という意味の「俳諧」と呼ばれるようになりました。 この俳諧で、一番最初の五七五の句を発句(下図参照)というのですが、これが独立して俳句となり、後ろの方の五七五の句が独立して川柳になりました。俳句は発句由来なので、季語・切れ字のルールがありますが、川柳には五七五以外の縛りがないのです。
俳句とどう違うの?
俳句と川柳はどちらも同じ十七音の定型詩のため、形の上では、区別はつきません。 今日、口語俳句、自由律俳句、無季俳句、新俳句…などいろいろなタイプの俳句が存在しており、厳密に川柳との違いを一言で言うことがさらに難しくなっています。 ここでは、伝統的な俳句の概念と比べておきましょう。 俳句は、内容的には、自然や四季、風景が対象になり、遠くに人間を見つめます。 川柳は、季語や切れ字を必要とせず、内容的制約もありません。自由度が高く、詠まれるテーマもさまざまです。
のように、人の心の機微を詠み、広く知られるような句もあります。 俳諧の頃から、「人間を直接詠む」視点に面白さが見いだされ、『誹風柳多留』という句集となって世に出回った川柳の多くが、人事の中で人生や社会の矛盾を突いた笑いになっています。
川柳の立ち位置
川柳と俳句の見方の違いを説明するのによい句があります。自由律系俳句雑誌「視界」140号に掲載されていた興味深い一句です。
この句を俳句の会と川柳の会で、それぞれ鑑賞してもらいました。 俳句の会では、多くの人が「乳房の様な起伏のある雄大な砂丘の夕暮れ。その暮れ残った砂丘の砂には、まだ昼間の余熱が残っている」といった景色としての鑑賞が中心でした。 川柳の会では、「女性としての老化は砂丘が暮れていくように乳房から現れ始めたが、その砂には、まだ女としての余熱が残っている」という人間に置き替えた解釈が中心でした。 ここに、川柳家と俳人の目の違いがあるように思えます。 作者が、詠まれたものの向こう側に立つのが「俳句」であり、詠まれたもののこちら側に立つのが「川柳」の目といっていいでしょう。
ちなみに、和歌や俳句では、一般に作品を作ることを「詠む」といいます。しかし川柳の作品は、時間的推移の詠嘆や作者個人の詠嘆ばかりではなく、江戸時代から「吐く」とか「ものす(つくる、という意味)」という言葉が使われてきました。近代に至って、「吐く」は、やや汚らしい響きを感じるため、川柳の入門書では、「作る」とか「よむ」という語がつかわれるようになりました。このような点にも川柳の特長が解る言葉遣いが残されています。
駆け足でしたが、俳句との違いについて、大まかにご説明しました。より詳細に知りたい方は、よろしければ私のYouTubeチャンネルも見てみてください。
いかがでしたか?川柳と俳句との形式・内容的な違いがよくわかったのではないでしょうか。次回は川柳を作るうえで重要な「リズム」と「音」についてご解説いただきます。
初回「川柳を知る」はこちら
第3回「川柳を作ってみよう①」はこちら
第4回「川柳を作ってみよう②」はこちら
第5回「川柳作りのコツ」はこちら
プロフィール
尾藤川柳
1960年、東京生まれ。
尾藤三柳、十五代脇屋川柳に師事。川柳公論編集委員ののち「川柳さくらぎ」主宰。
2016年、三柳の逝去により川柳公論社代表、「川柳はいふう」主宰。
2017年、十五代川柳逝去の為允可により「櫻木庵川柳」として立机、十六代目川柳を嗣号。
編著書に『川柳総合大事典』『川柳のたのしみ』他多数。
現職:十六代川柳。川柳公論社主宰。川柳文化振興会理事。川柳人協会理事。女子美術大学特別招聘教授。
公式ホームページ「ドクター川柳」http://www.doctor-senryu.com/