おもしろ入試問題 昨今、入試問題は「知識偏重」であるという批判もありますが、実際の問題を見ると決してそうではありません。そもそも、答えがある問題は知識がある方が有利になりやすいものですが、その中でも思考力を問うために、大学は工夫を凝らした問題作りをしています。ここでは「考えさせられる」「工夫されている」「解いていて楽しくなる」そんなinterestingな過去問を紹介します。そのおもしろさを感じてください。

No.1 世界遺産あらわる(2000年度 静岡大学 前期日程)

問題

関数f(x)g(x)

で定義する。このとき、次の問いに答えよ。

  • (1)f(x)g(x)の増減を調べ、2曲線C1:y=f(x)C2:y=g(x)のグラフの概形を同じ座標平面上にかけ。
  • (2)C1C2で囲まれた部分の面積を求めよ。

コラム

(1)はグラフをかく問題ですが、4次関数、分数関数、三角関数と3種類のグラフが登場します。また、微分したり、平行移動させたり、絶対値が含まれていたり、さまざまな能力が問われています。順番にかいてみましょう。

4次関数
分数関数
三角関数

グラフが3種類あるので、かくのに結構骨が折れます。では、これらの曲線を重ねてみましょう。すると…

なんと静岡が誇る「富士山」が出現しました! 「さすが静岡大学」と思わせる遊び心のある出題です。それぞれの曲線の特徴がうまく活かされています。

試験中にこれをかくことができた受験生はどう思ったのでしょうか? しかし、続く(2)では「積雪部分」の面積を求めないといけません。ほとんどの受験生はゆっくり鑑賞している暇もなく、せっせと積分していたのではないでしょうか…。

No.2 鏡はどうして左右逆?(1998年度 神戸大学理学部物理学科 後期日程)

問題

大きな鏡に向かって直立して自分の姿を映すと、上下は逆にならないが左右は逆になるように見える。その理由を説明せよ。

コラム

鏡で逆になるのは本当に「左右」なの?

鏡に映った自分の左右が逆になるのに理由なんてあるのでしょうか。そのくらい、私たちにとって左右が逆になるのは当たり前です。でも、「鏡を地面に置いてその上に乗ると逆になるのは上下じゃないか?」「実は鏡で逆になっているのは上下でも左右でもなくて『前後』じゃないか?」と考え始めると、いろんなアイデアが浮かんできます。こういうアイデアを「客観的に」「誰にも納得がいくように」書けますか? この問題はそれを試しているのです。

実は、鏡で逆になるのは必ずしも「左右」というわけではありません。それを示すために、まず「左右」そのものについて考えてみましょう。

そもそも「左右」って何だろう?

「前後」「上下」「左右」という言葉の意味を考えてみると、人間にとって、「前後」は「目がついている方が前、ついていない方が後ろ」、「上下」は「ものが落ちてくる方が上、落ちていく方が下」です。これは誰でも納得がいくと思います。では「左右」は? 日本では「お箸を持つ方が右」と説明しますが、もっと正確な言い方はないでしょうか。たとえば 上から見て、前に対して時計回りの方が右、反時計回りの方が左…(*) と考えれば、正確に右と左が決まります。この考え方では前後と上下が決まって、初めて左右が決まることになりますね。本当は「時計回り」を定義するために「左右」の定義が必要になる(そのぐらい「左右」の定義に明確な理由がない)のですが、「左右が逆になる」という現象を理解するために、便宜的にこの方法を使って説明してみようと思います。

「左右逆」の真相

図1は鏡の前にものを置いた場合の像のでき方です。矢印の向きに着目すると、逆になっている矢印は「前後」ですね。でも(*)のルールで「左右」を書くと、「左右」の位置が逆になっています。

図2は鏡の上にものを置いた場合の像のでき方です。向きが逆になっている矢印は「上下」ですが、やはり「左右」の位置は逆になっています。

このように、実際に逆になっているのは赤い矢印なのに、人間が(*)のように「上下」と「前後」の方向を基準に「左右」を決めるため、「左右」が逆になったと認識してしまうのです。皆さんも図をかいて考えてみましょう。

No.3 暦の月と空の月(2010年度 二松學舍大学 A方式)

問題

あふげども 我が身たすくる 「空欄」 さてやはつかの 空をながめむ

空欄には、一月から一二月までのうち、ある月の異称が入る。その異称を漢字で記せ。

コラム

国語の空所補充問題では、ややもすると原文を知っていなければ解けないような問題や、「作者もどっちにするか悩んだのでは?」と思われるような問題が散見されます。しかし、ときには「よくぞここを空欄にしてくれた!」と言いたくなるような絶妙な問題に出会うこともあります。この二松學舍大学の問題は、その代表的な例です。

前提は古典常識

月の異称とは、「睦月(正月)、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走」のことです。古典文学の基本知識ですが、この問題は、まずこれを覚えていることが前提となります。

知識だけでなく読解力も必要

でも、知識だけでは駄目です。この空欄は、掛詞にもなっています。つまり、空欄に入る月の異称は、この和歌が詠まれた月を表すとともに、もう一つ別の意味を表すのです。

この和歌は、優れた歌人でありながら、勅撰集に自分の歌を三首しか入れてもらえず、出家してしまった人物が詠んだ「述懐の歌」です。現代語に訳すと、“空を振り仰いでも、自分を助けてくれる空欄(1)。だから空欄(1)二十日のかすかな月がかかった空を眺めて物思いにふけろう”となります。空欄(1)空欄(1)にうまく掛かるような「月の異称」はどれでしょうか。

これらを踏まえて考えると…

わかりましたか? 答えは「神無月」です。現代語訳の空欄(1)には“神様はいない”が、空欄(1)には“十月”が入ります。もちろん、この和歌が詠まれたのは、実際に十月二十日だったと考えられます。

実は、月の異称の中で五文字なのは「神無月(かんなづき)」だけです。だから、月の異称を全部覚えていて、睦月から順に入れていっても解くことはできます。でも、この問題はそういう解き方ではなく、和歌を見てぱっと「神無月」が思い浮かび、その後に「睦月、如月、……」と数えていって、他にあてはまるものがないことを確認する、というプロセスで解いてもらいたいものです。

ちなみに、「はつか」が空欄になっていて、「日付を入れよ」という問題だったとしても、古典の知識(旧暦の暦と月の満ち欠けの知識)と和歌の鑑賞力で解けるんですよ。二十日の月は、夜遅くに昇り、夜が明けても西の空に白く残る「有明の月」です。夜もすがら物思いにふけるのにぴったりな上に、「はつか」は“二十日”と“僅(はつ)か”の意味をもつ掛詞にもなっているのです。同じ三文字の日付でも、「三日(みっか)」や「五日(いつか)」の月だと、比較的早い時間に沈んでしまうので、物思いにふける情景としては弱くなってしまいます 。

No.4 「顔」は英語で何という? (1991年度 岐阜大学 連続方式A日程)

問題

(1)~(5)の(  )の中にあてはまる適当な英語を、それぞれの解答欄に記入しなさい。

  • (1)He put his (  ) out of the window to get a better view of the sea.
    (彼は海がもっとよく見えるように窓から顔をだした。)
  • (2)My (  ) hurts.
    (腰が痛い。)
  • (3)They shook their (  )s dubiously at our proposal.
    (彼らは私の提案に対して、いぶかしげに首を振った。)
  • (4)These shoes are so tight that they pinch my (  )s.
    (この靴はきつすぎて足が痛い。)
  • (5)The mother held the baby in her (  ).
    (母親は赤ん坊を膝の上に乗せた。)

コラム

問題にざっと目を通してみると、空所に入るのは体の一部を表す英単語であることがわかると思います。「空所に入る英単語は簡単そうだし、複数形のsも示されているし、楽勝、楽勝」と思ったあなた、要注意です。(1)の答えは何だと思いますか? 「顔」を英語に訳すとfaceだから、正解はfaceでしょうか? 実は、そんなに単純な問題ではないのです。

「顔を出す」を想像すると・・・

「窓から顔を出している」様子を想像してみてください。多くの人が右のような姿を思い浮かべるのではないでしょうか。この状況では、窓から出ているのは「顔」だけではなく「顔を含む、首から上の部分全体」ですね。そうです、(1)の空所に入るのは「顔を含む、首から上の部分全体」を表す英語なのです。すなわち、正解はheadとなります。

日英の違い

ややこしさの原因は2つあります。1つは、上に述べたように、日常生活で何気なく使っている「顔を出す」という表現が厳密さに欠ける表現であること。そしてもう1つは、「顔=face」、「頭=head」とは言い切れないことです。

もちろん日本語でも、「顔を含む、首から上の部分全体」を指して「頭」と言うこともありますが、普段は「頭」は「頭」、「顔」は「顔」と分けて使います。一方、英語ではheadが指す範囲の中に、「顔」を表すfaceが含まれるのが普通です。「顔を出す」が“put his head out”となるのは当然ですね。

異文化理解への第一歩

(1)~(5)の答えは、以下の通りです。

解答 (1) head (2) back (3) head (4) toe (5) lap

(1)と(3)が同じ答えになることが見抜けたでしょうか。日本語で「顔」や「首」を用いて表すしぐさが、英語では両方ともheadだったのです。また、(5)の「ひざ」は、kneeではなくlapです。lapは座ったときにできる、腰からひざ頭までの平らな部分(太ももの上の部分)を指します。日本語にはない表現ですね。

一見簡単そうに見える問題ですが、身近な表現から、日英の考え方の違いを理解できているかが問われていました。本問をきっかけに、日頃から日英の表現の違いにアンテナを張り、その下にある物事のとらえ方の違いを考察してみるのも、楽しいのではないでしょうか。

No.5 ことわざと生物学(1985年度 信州大学 理・医・農・繊維学部)

問題

つぎの語句・ことわざから二つを選び、生物学的感覚で解釈せよ。字数はそれぞれ150字以内とする。

(例)あとは野となれ山となれ

  • (1)弱肉強食
  • (2)難波の芦は伊勢の浜荻
  • (3)うぐいすの卵のなかのほととぎす
  • (4)高山の頂に美木なし

(例解)野は草原、山は森林の意。湿潤気候下では、裸地を放置しておいても草原、森林へと遷移する。その遷移現象が「目先のことさえすめば、あとはかまわぬ無責任」をいったこのことわざの背景といえ、この表現は湿潤なわが国なればこそであろう。乾燥の激しいところでは、放置しておいては、野にも山にもならないからである。(148字)

コラム

一見、国語の問題かと思ってしまうようなこの問題。生物学的感覚で解釈しようとすると、語句やことわざが普段とは違って見えてきませんか? 今回は一番答えにくそうな(2)について、一緒に考えてみましょう。

ことわざの意味

「難波の芦は伊勢の浜荻」ということわざを聞いたことがない人も多いでしょう。難波は大阪の古称で、「なんば」ではなく「なにわ」と読みます。また、伊勢は三重県北中部の旧国名です。このことわざは「同じ植物のことを、大阪では芦(あし)と呼ぶが三重では浜荻(はまおぎ)と呼ぶ」、つまり、「名前や習慣などは土地によって変わる」という意味です。

ここに着目

意味がわかったら、このことわざが生物で学ぶどの範囲と最も深い関係にあるかを考えましょう。この問題で着目すべきポイントは「生物の名前」です。地球上で発見された生物には「学名」がついています。学名は類縁関係を考慮してつけられた世界共通のものです。

生物学的感覚でとらえると

生物には「学名」という世界共通の名前があるにもかかわらず、私たちは普段学名を使いません。たとえば、「Phragmites australis」という学名をもつ生物のことを、日本語圏に住む私たちは「芦」や「浜荻」と呼びますし、英語圏に住む人は「common reed」と呼びます。このように、普段私たちが使っている呼び名は慣用的なもので、国や地域によって異なるのです。

(2)の解答例

地球上で発見された生物には学名がついている。学名は類縁関係を考慮してつけられた世界共通の名前で、属名と種小名からなる。一方、普段私たちが使う呼び名は慣用的なものである。同じ種の植物を大阪では芦と呼ぶが三重では浜荻と呼ぶように地域で異なることがあり、文化的条件や歴史的条件などの影響を受ける。(145字)

残りの問題も考えてみよう

残りの問題は、ぜひ自分の力で考えてみてください。着目すべきポイントは(1)被食者-捕食者相互関係、(3)寄生と生得的行動、(4)高木限界です。

(2)以外の解答例
  • (1)生態系内では、種間の相互作用の一つとして被食者-捕食者相互関係がみられる。この食う食われる関係は、植物などの生産者が植食性動物の一次消費者に捕食され、一次消費者が肉食性動物の二次消費者に捕食される、というように連続的につながっており、物質循環の一端を担っている。(131字)
  • (3)ホトトギスはウグイスの巣に侵入して卵を産む。先にふ化したホトトギスの子はウグイスの卵を巣の外に押し落とし、ウグイスによって育てられる。この托卵と呼ばれる行動は寄生の一つといえる。また、ウグイスの卵を押し落とすホトトギスの行動や、我が子ではないホトトギスの子に餌をやるウグイスの行動は生得的行動である。(150字)
  • (4)高山の頂上付近は非常に気温が低く、深く根を下ろすための土壌も発達していない。このような環境では高木は生育できない。一般に本州中部では、標高約2600mを越えると高木が生育できないといわれており、これを高木限界という。高木限界を越えると低木や草本が生育し、夏には高山植物のお花畑が広がる。(143字)

No.6 京都らしい歴史の問題(2008年度 京都大学)

問題

(前略)[   ]は古代史研究をよみがえらせた出土文字資料であるが、9世紀以降のものは数が少ない。これは単に、平安宮が大規模に発掘調査されてこなかったため、まだ発見されていないだけのことかもしれない。(後略)

問 下線部について、その主な理由を述べよ。

コラム

教科書に答えはない

京都大学による、京都の遺跡発掘事情の問題です。解答欄は1行。論述問題としてはごく軽めの出題ですが、教科書のどこを探しても“ズバリ”の答えは見つかりません。教科書の知識だけでは対応できないので、工夫して考えてみましょう。

角度を変えて考えてみよう

まず、リード文の[   ]には「木簡」が入ります。木簡といえば、藤原宮や平城宮(ともに奈良県)から出土したものが有名ですね。そう考えると、この設問は“藤原宮や平城宮と違って、平安宮が大規模に発掘調査されてこなかったのはなぜか?”と読み替えることができます。

手持ちの知識から謎を解く

教科書や図録などで、のどかな田園風景の中に佇む藤原宮跡や平城宮跡の写真を見たことはありませんか? 藤原宮も平城宮も、都がよそに遷るとまもなく荒廃し、そのまま田や畑になって近代に至りました。つまり、遺跡の上にあまり多くの建物がなかったので、大規模に発掘調査を行うことが比較的容易だったのです。

そう考えると、京都の事情が見えてきませんか? 平安宮そのものは鎌倉時代に焼失してしまったのですが、その跡地はやがて宅地化しました。藤原宮や平城宮と違って、京都はその後も都であり続けたので、荒廃したまま放置されることがなかったわけです。つまり、“平安宮跡の上には多くの建物が並んでいるために、大規模に発掘調査することは難しかった”と推論できます。

出題者からのメッセージ

“歴史学は過去と現在の対話である”とよく言われます。おそらく出題者は“教科書の知識や理解をもとにして、柔軟な姿勢で現在から過去に想いを巡らせ、自分なりに答えをひねり出してほしい”と考えたのではないでしょうか。そして、設問のリード文を次のように続けています。

「しかし、あえて古代史に理由を求めるならば、8世紀よりも紙の使用が広まったこと、律令租税制度が衰退して貢納物の荷札が減少したこと、などを仮説として立てることができよう。」

受験生にお手本を示すがごとく、歴史的思考力をはたらかせて仮説を立てています。この設問に向き合った受験生たちは、“これから学ぶ君たちに対して、学問への扉を開いて案内しよう”というメッセージを受け取ったことでしょう。

別解の可能性

教科書に出てくる木簡では、長屋王邸跡(平城宮のすぐそば)から出土したものも有名です。この遺跡の発掘調査は、大型百貨店の建設に先立って行われました。古都における再開発は、大規模な発掘調査を行うための絶好のチャンスでもあるわけです。そして平安宮跡については、残念ながらそうした再開発の機会には恵まれなかったとも推論できます。

No.7 こんなところにも化学(2010年度 学習院大学)

問題

以下の問題は、日常生活で出会う化学的な疑問に関するものだ。君の学んだ化学の知識をもとにして考え、文章で簡潔に答えなさい。特定の化合物名などを示す必要はない。

汗で汚れたTシャツを、洗剤を使わずに水洗いだけして干しておいたら、酸っぱい臭いがした。なぜだろう。

コラム

夏の暑い日には、少し外を歩いただけで汗をかいてしまいます。汗で汚れたTシャツを、皆さんはどのようにして洗っていますか? 洗剤を使わずに水洗いだけをする人はほとんどいないでしょう。洗剤を使わないと汗による汚れが落ちないことを、経験的に知っているからです。では、なぜ洗剤を使わないと汚れが落ちないのか、答えることができますか?

汗の成分

そもそも、汗は何でできているのでしょうか? 実は、約99%が水なんです。水以外の成分としては、塩化ナトリウムや尿素、乳酸などが含まれています。ほとんどが水でできているため、汗そのものは無色透明で、臭いもほとんどありません。

酸っぱい臭いの原因は?

汗は無色透明で臭いもほとんどないのに、汗で汚れたTシャツが酸っぱい臭いを放つのはなぜでしょう? その原因は、汗と一緒に分泌される皮脂の中にある脂質成分です。この脂質成分は、空気中の酸素によって酸化され、悪臭を放ちます。したがって、酸っぱい臭いを消すためには、Tシャツについた皮脂を除去する必要があります。

洗剤のはたらき

洗剤は、水になじみやすい「親水基」と、油になじみやすい「親油基」からできています。球体の親水基から、棒状の親油基が伸びているイメージです。洗剤は水に溶けると、まず棒状の親油基が繊維についた油汚れ(皮脂)にひっつきます。その後、油汚れは洗剤によって繊維からはがされ、水の中に分散していきます。この油汚れは洗剤の分子に包まれているため、再び繊維に付着することはありません。

「水と油」というように、油は水に溶けません。つまり、洗剤を入れないと、水に溶けない油汚れ(皮脂)がTシャツに付着したままになり、Tシャツの酸っぱい臭いの原因となるのです。

身のまわりにある化学

日常生活の中には、高校で学ぶ化学の知識で説明できる現象が意外とたくさんあるものです。この問題からは、そのような現象に目を向けてほしい、化学を身近に感じてほしい、という出題者の意図が感じられます。身のまわりの現象を「そうなるものだ」で終わらせてしまうのではなく、「なぜそうなるのか」といった視点でとらえてみてほしいと思います。